50ANA沖縄国際物流ハブがスタートしたのが2009(平成21)年10月。これは沖縄県と全日空さんが連携をされて、実現しました。全日空さんは夜間を利用して貨物便を飛ばそうということで、ANAカーゴの貨物便を沖縄に集約されました。スタート前の2008(平成20)年、現在の伊東会長を含む経営陣10名前後が来られて、沖縄の経済界も10名くらいで夕食懇談会を行いました。実はこれがずっと続いていて、2020(令和2)年で13年目です。沖縄を物流拠点として、沖縄の経済発展に大きく貢献するんだという、全日空経営陣の熱い思いがありまして、我々も毎回参加して意見交換してきました。実は沖縄大交易会もここに繋がってきますけれども、商売が成り立って初めて物流が実現するということですね。沖縄大交易会を開催することで、国内でも、アジアのビジネスマンの間でも沖縄の物流拠点としての認識新型コロナウイルスの影響は大きいですが、収束後の経済効果は大いに期待できます。全国でも複数の滑走路がある空港は、那覇の他には新千歳、成田、羽田、中部、関西の5つの空港です。いかに沖縄への配慮があったかという意味では、沖縄懇話会も一定の役割を果たしたと思います。が高まりました。例えば三重県は果物も海産物も豊富ですが、高級食材はあるのに、アジアに輸出していませんでした。それが、沖縄大交易会に出展すればアジアの有力なバイヤーに出会えるという理由で沖縄大交易会への参加が定着してきているのも、ANA沖縄国際物流ハブがあってのことです。また、空港に隣接してサザンゲートという、ヤマト運輸さんの物流センターがありまして、ANAカーゴさんと連携しながらアジアに向けて物流を強化しようとがんばっています。ただ、米中貿易戦争の影響で電子部品の取扱量が減ったことと、新型コロナウイルスの影響もあって、当初の計画通りに進んでいない部分もあります。粛々とやるしかないという状況です。沖縄科学技術大学院大学(OIST)の誘致関係ですね。これは、沖縄担当大臣をされた尾身幸次さんの非常に熱い思いで実現しています。沖縄の復帰30周年が2002(平成14)年なんですが、当時の小泉総理が沖縄からの声を聞き入れられて、大学院大学の設置構想を進めると表明されたんです。本土側の幹事から小泉総理への働きかけも行われたと聞いています。OISTに行きますと、壁もない環境で研究者同士が自由闊達に議論していたりする。それらも尾身さんの構想で、ベスト・イン・ザ・ワールドの環境を作るという思いがありました。沖縄経済界と共に沖縄懇話会もバックアップしました。――2020(令和2)年3月26日の朝、大変な状況の中で那覇空港第二滑走路の供用が開始されましたね。――那覇空港関連では、ANA沖縄国際物流ハブも今後の沖縄経済を支える重要な柱ですね。第二滑走路の供用で、さらに期待できそうです。――貿易摩擦や今回の感染症など、民間企業のリスク管理ではどうにもならない問題もありますね。――他に、安里さんご自身が携わられた沖縄懇話会の事業で印象に残っているものはありますか?今後は若い世代がグローバルな視点で動くことに期待したい「ASEANの成長を取り込み、沖縄にはまだまだ伸びしろがある」
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