沖縄懇話会30周年記念誌
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42僕や牛尾さん、みんなからです。ただ、政治マターになると、基地問題が絡んで話がややこしくなるでしょう?サミットと基地問題は切り離したいと本土側も考えたので、政治家は小渕総理と野中官房長官、鈴木官房副長官の3名だけをお呼びした。もう一つ大きかったのが、それに関連していろんな動きが出たことです。例えばダイキンオーキッドですね。ダイキンさん側には当初沖縄は念頭になかったわけですが、中山素平さんの提案で沖縄の線が出て、小禄さんが入られてRBCと一緒にやる方向でまとめたわけです。プロアマには本土の財界人が50名から100名くらい来られます。そのうち経団連のトップも沖縄懇話会に入られるようになりましたし、皆さんご夫人同伴で来られますからね、沖縄に対してなお一層親しみを持ってもらえるようになった。それから、稲盛さんが沖縄にセルラーを作られた。今は、情報関連産業は売上4000億円を超えて、観光に次ぐ産業になったわけですけれども、あの当時はほとんどゼロの状態でしたよ。私も色々と情報関連産業の誘致に取り組みましたが、その時にNECの金子さん、アイ・ビー・エムの椎名さん、オリックスの宮内さん、懇話会メンバーの皆さんにご協力いただきました。一例が国立劇場おきなわです。私は国立組踊劇場誘致促進期成会の会長として、誘致活動をしました。懇話会が1000万円出してくれたので、東京の国立能楽堂を貸し切ってイベントができました。能の「隅田川」と組踊の「女物狂」を上演したんですよ。政界財界から大勢見に来られました。ちょうど橋本内閣としても大田知事との間がうまくいっていない時期で、とはいえ沖縄のために何かしたいという意向はあった。その時に官房副長官の古川貞二郎さんが組踊を見て「これはいい」と、橋本総理の了解を取って閣議決定をして、国立劇場の話がスタートしたんです。それ以外にも、陳情に行く時にはアドバイスをいただいたり、人脈を活かしてキーパーソンに声をかけていただいたり。懇話会は本当に語り尽くせないくらい多くの貢献をされたと思います。そうですね。ただOISTについて飛び抜けた功労者は、尾身幸次さんですよ。沖縄及び北方対策担当大臣と、科学技術政策担当大臣を兼任されたのが大きかった。あの方は国際経験も豊富で、日本の科学技術が世界の中で遅れていることに危機感を持っておられた。沖縄担当大臣になられて、この問題を沖縄と結び付けられましてね。それに対して懇話会がバックアップをしたのは事実です。――サミット誘致のお話というのは、どなたがされたんですか?――いろんな動きと言いますと?――経済面だけでなく、沖縄の文化振興にもおおいに貢献されましたね。――OIST(沖縄科学技術大学院大学)も、懇話会の提言はやっぱり大きかったんですかね?あらゆる面での支援に感謝。沖縄懇話会の功績はとても語りつくせないほど「未来のために、種をまくこと。もっとみんなでそのことを真剣に考えなくてはならない」

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