沖縄懇話会30周年記念誌
31/160

宮内義彦3180歳のタバコ屋のおばあちゃんでも、米軍がタバコを買いに来ても怖がらない。外国人に対する明るい姿勢は、日本は沖縄から学んでいるわけです。また、南の人は日本の中では沖縄が一番なじみやすいと言いますね。僕は外国でそう聞いたことがある」「ダイキンオーキッドは大きかったんじゃないですかね。懇話会ができる前に、日本で初めての女子ゴルフトーナメントを始めた。プロとアマが一緒にコースを回るトーナメントもあって、本土の経済人が大勢やってくる。それまでは、あまり沖縄のことは知らなかったという人が多いんですよ。来てみると、この南の太陽は素晴らしい、沖縄の明るさ暖かさというのを実感するんですね。経済人が沖縄の魅力に触れて、それを発信するという意味でもダイキンオーキッドの役割は大きかったと思います。沖縄の新聞は反企業的なイメージがあると聞いていたけれども、僕ら本土の経済人の動向に注目して新聞もテレビもしっかり報道してくれました」「僕は冬に海に入るということが最高の贅沢だと思っている。沖縄に来ると本当に暖かくて、水はきれいだし、沖縄本島だけでなく、あちこちの島へ行って潜りましたよ。沖縄の魅力をよく知ることができた。今でも沖縄はどんどん人口が増えているじゃないですか。日本人が沖縄を愛し、 沖縄の人も心を開いてくれたんですね。それで我々が入っていけたというのはある」「島と島をもっと気軽に動けるようにして、もう10年か20年したら、沖縄は日本のリゾートとしてすごく発展すると思いますね。日本人にとって、沖縄であったかさを楽しむということは、ごく当たり前のことになってきたんじゃないですか。沖縄は、まだまだこれからですよ」プロフィールうしお じろう1931(昭和6)年兵庫県生まれ。東京大学を卒業後、カリフォルニア大学院留学を経て、1964(昭和39)年ウシオ電機株式会社設立、代表取締役社長就任、1969(昭和44)年日本青年会議所会頭就任(同年12月まで)、1979(昭和54)年ウシオ電機株式会社代表取締役会長就任、2020(令和2)年5月取締役相談役就任、現在にいたる。1990(平成2)年〜1995(平成7)年、沖縄懇話会代表幹事。1995(平成7)年〜1999(平成11)年4月、社団法人経済同友会代表幹事、同年5月〜社団法人経済同友会特別顧問(終身幹事)就任、現在にいたる。1996(平成8)年〜1998(平成10)年、沖縄懇話会顧問。1999(平成11)年〜沖縄懇話会諮問委員、現在にいたる。――復帰前からの沖縄との長いご縁の中で、沖縄懇話会を発足させるにあたり、きっかけになった大きな出来事はありますか?――牛尾さんは心から沖縄を楽しんでおられます。――沖縄に生まれ育った若い経営者も、懇話会に出席しています。そういう若い経済人にメッセージをお願いします。

元のページ  ../index.html#31

このブックを見る